投稿日:2008-04-29 Tue
ちょっとコーヒーブレイクとして、言葉遊びにお付き合いいただければと思います。私は「オープン」という言葉が好きなのです。
開放的で、未来志向で、明るい素敵な言葉ですよね。
オープンソースなんていうのも素晴らしい考え方です。
オープンな環境はそこにいる人にも開放的な影響を与えます。
数年前、偶然大きなビルの建設現場の前を通り過ぎたときのことです。
ちょうど今ぐらいの季節でしょうか。お天気のいい日でした。
まだ土台の工事も始まっていない更地に近い状態で、開放的な空間が広がっていました。
当時、私は写真屋で働いていて、狭い売り場ですごす毎日でしたから、
工事現場で働く人はこんなにも開放的な仕事場で働いているんだなぁと、
きっと物事に対する感じ方も全然違ってみえるのだろうなと、少しうらやましく思ったものです。
まあ、どちらがいいとかそういう話ではないので、私が働いていた狭い売り場も、今はもうないですが、愛着のわく大好きな場所であることに変わりはありません。
「オープン」、日本語では「開く」。
ちょうど今、『日本語の歴史
昔、武士が、戦で「勝ち目なし」と判断して退くとき、落ち延びるなど恥ずべき行為ですから、「開く」という表現を使ったそうです。
今でも「お開き」という言葉がありますが、どうも武士の使っていた言葉が語源になっているようです。
ネガティブなことを「開く」というポジティブな言葉に言い換えているということですね。
またまた、話は飛びます。
プログラム開発をする人だと、ファイルオープンを頻繁に使いますよね。
fopen();
とかそういうやつです。
多くの環境では、ファイルの close は万が一忘れても勝手に閉じてくれます。
でも、勝手に open はしてくれないですよね。
やはり開くにはアクションが必要といったところでしょうか。
むろん、ファイルの close を記述しないことを推奨しているわけではありません。
最後に、笑い話として、写真屋の店長時代、入店先から今日は「クローズドオープン」だといわれ、なんだそれ?結局開いてるの?閉まってるの?と無知をさらしたことがありました。
とりとめのない話題でしたが、「オープン」をキーワードとした言葉遊びでした。
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
投稿日:2008-04-25 Fri
毎年FUJIFILMが開催している「“PHOTO IS”10,000人の写真展」。この写真展は、特定のテーマも、審査もなく、誰でも応募できます。
応募台紙を500円で買って、写真をプリントして出しさえすれば、展示されます。
去年は応募台紙を手配したにもかかわらず、応募できませんでしたが、今年は準備万端。
今日プリントしてきて台紙にも貼り、後は出すだけ!
私の身近な人に見てもらえるよう仙台会場に展示されるようにしました。
仙台は8月30日、31日ですね。場所はせんだいメディアテークです。
秋にはインターネットでも一般公開されます。
<公式サイト>
「“PHOTO IS”10,000人の写真展 2008」
投稿日:2008-04-21 Mon
東京では、「朝EXPO in Marunouchi 2008 spring」、今日から始まりましたね。朝のイベントだからもう一日目は終わってしまっていますが、金曜日まで「朝EXPO」は開催されるそうです。
仙台にいるとね、こういうとき行きたくて、うずうずするのです。
地方でもこういうのやったら面白いですよね!
きっと。
まあ、そんなタイミングで、当サイトでも、「朝型クリエイターのすすめ」を先週から公開しておりました。
また、昨日、「夜の時間大切にしませんか?」という、快適な眠りにつく前の準備についていくらか書いてみました。ページ下のほうで、夜寝る前に聴くのにぴったりな、癒し系のオリジナル曲を公開していますので、そちらもあわせてお楽しみいただければと思います。
投稿日:2008-04-20 Sun
少し前のことなのですが、どうにも現代社会での生き方、働き方ということについて行き詰まりを感じ、自己啓発、ビジネススキル、哲学、仏教などの関連書籍を読みあさったことがありました。今は、乱読の時期は過ぎて、岩波文庫にある鈴木大拙さんの『東洋的な見方』を少しずつゆっくりと読んでいます。
ご存じない方のために補足しますと、著者である鈴木大拙(すずき・だいせつ)さんは、「禅」の文化を英語で海外に広く紹介した国際的にも知られた仏教学者。
また、アメリカの女性と結婚し、東洋と西洋の文化を世界規模で捉え直すということを自らの人生で体現したというとてもグローバルな経歴の持ち主でもあります。
また、アメリカの女性と結婚し、東洋と西洋の文化を世界規模で捉え直すということを自らの人生で体現したというとてもグローバルな経歴の持ち主でもあります。
昨日も少し読んでいたのですが、その中で、「創造の自由――『荘子』の一節」というところが、まさに今、日本の社会が直面している問題の本質に迫っているように感じました。
この「創造の自由」という項では、東洋の二つの流れ、「儒教的なもの」、「老荘的なもの」を我々はどうやって捉えていくか、ということの問題提起の形をとっています。
50年近く前に書かれたものですが、読んでみると、まさに現代日本で抱えている問題そのもの。
人間が社会を作り、生きていく限り、永遠のテーマなのかもしれません。
ここでは、「儒教的なもの」=「形式的・律法的・機械的方向へ」、一方「老荘的なもの」=「自由性・創造性に重きを置く」という図式が提示されています。
私などは根っからのクリエイターですから、いきおい「老荘的なもの」に魅かれてしまうのですが、「儒教的」な規律もまた軽んじては社会が成り立たちません。その折り合いのつけ方について、もっともっと考えを深めていこうと意識させられます。
これを書かれた当時、鈴木さんは90歳くらいなのですが、それでもなお、「どういうふうに協調していけるか、あるいは、また、どうしても協調していけぬか。」と、言っておられることは、これから生きていくうえで、考え続けていくことに価値があると示唆されているように私は受け取りました。
投稿日:2008-04-16 Wed
先日、「現在に意識を集中する」というのをこのブログに書きました。後半で、未消化な抽象論を展開してしまって、かえってよくない記事になってしまったかなとちょっと思っていたのですが、「今が大事」ということについてもう少し補足してみます。
中国のことわざ
中国のことわざに、
木を植えるのに、一番いいのは、30年前。次にいいのが、今だ。
というのがあるそうです。
「現在に意識を集中する」で伝えたかったことが、たった一行に凝縮されています。
いやはや、中国の長い歴史はさすがです。感服。
これについては、もう長くは語るまい。
投稿日:2008-04-09 Wed
物や人、その他もろもろのことを「見極める」ということについて、ちょっと考えてみました。これは、五感それぞれの感覚を研ぎ澄ますことも大切ですが、それらをうまく使いこなして、良し悪し、真贋を見抜くコツがそれぞれの分野にあるのだと思います。
例えば、なんでも鑑定団ではありませんが、骨董品の真贋、価値を見抜くには大変な知識が必要なのだと思われますし、八百屋さんはおいしい野菜を見抜く、魚屋さんはおいしい魚を見抜く、あるいはスポーツ選手の素質を見抜く、優れたミュージシャンを見抜く、人材発掘のようにビジネスパースンの素質を見抜くといったことまで、実に様々です。
昔から「伯楽」という言葉があるように、本当によく見極める目を持った人というのが世の中にはいます。
そういう人にかかると、まるで魔法のように良し悪しを見分けますが、きっとそこには膨大な知識と、どこに着目すればいいかということの蓄積があるのだと想像されます。
何かを見極めることに長けた人の内部では、感性と知識の見事な連携が起こっているように感じます。
今の時代はさしずめ「情報」や「サービス」に対する良し悪しを見抜く目が求められているといったところでしょうか。
余談ですが、「目利き」という言葉もありますね。
最近日本語の「きく」という動詞が面白いなと感じています。
聞く、聴く、利く、効く、訊く、効き目、利き目、聞き耳、利き酒……
基本語彙ですから、おそらく漢字伝来以前からの意味の幅広な動詞だったんだろうなと勝手に想像していますが、今後調べてみたいところです。
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投稿日:2008-04-07 Mon
私が作曲、編曲を習った先生の言葉で、時々思い出すことがあります。絶対音感がなくとも、朝起きたときに440Hzの音を聴いてその音をできるだけ長く記憶できるように毎日続けたら、ほとんど絶対音感みたいになるという趣旨のことでした。
絶対音感というのが科学的にどういうことなのか、私にはわかりませんが、先生の言葉も一理あるなと思ったことは事実です。
聴音は、そのときの体調(心理的な問題なのかもしれませんが)に左右されることは私自身、学生時代に身をもって体験しました。
そういったコンディションを知る上でも、朝起きて自分をチューニングするイメージで音を聴いてみるというのも悪くはないなと最近思うようになりました。
また、色を扱う仕事をしていないとなかなか気がつかないことですが、色に対する感覚というのもそのときの採光、照明、体調によってずいぶん違います。
私は写真屋で毎日写真をプリントしていた頃、そのことを実体験として気がつき、「人間の感覚とはずいぶんいい加減なものなんだなぁ」と改めて思ったものです。
耳や目に限らず、自分の「感覚」は一生使うのもですから、大切に毎日チューニングしてあげるという習慣を続けると、自然と感覚が鋭くなってくるのが実感されることと思います。
やり方は人それぞれですが、自分にとって大切な感覚を毎日チューニングする。ぜひお試しあれ。
ちなみに私は、自分でプリントしたベストな色味の写真を今でも毎朝見るようにしています。
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投稿日:2008-04-05 Sat
今、クリエイターさんが楽しめるようなサイトを作っている最中なのですが、昨日、「コーチングとは?」というページを作ってみました。その中で、コーチングの歴史についてもまとめてみたのですが、ちょっと脇道にそれて、coachの語源についてこぼれ話でも。
coachの語源については大体のところは頭に入っていたのですが、ページを作るにあたり、一応、確認をと思い手元の辞書を一通り引いてみることにしました。
まず英和辞典。確かに「大型4輪馬車」の意味が一番に載っていました。
それではドイツ語ではどうかと思い調べてみると、coachの第一義、「馬車」の意味はドイツ語では Kutsche (クチェ)という単語であることがわかりました。
そこで、ドイツ語の語源を調べるのに好都合な「木村・相良独和辞典」で Kutsche を引いてみました。
この辞書では、語源的説明は略語で示されていて、例えば、ギリシャ語起源ラテン語経由でドイツ語に入ってきた場合だと、
[ gr. - lat., ”〜” ]
といった書き方がされているのですが、 Kutsche の項には以下のように載っています。
[ ung.; engl. coach ]
大概の略語は頭に入っているつもりでしたが、「 ung. ってなんだ!?、何語のこと?」とちょっととまどいました(笑)
後半の engl. coach は、Englishでは coach にあたりますっていうことを示していますが、語源にあたる言語は ung. って何語のこと?…
…とあわてて巻頭の略語表を見ると、「 ung. = ungarisch. ハンガリア語」とあり、今の言葉でいうハンガリー語のことなのでした。
ハンガリーのコチ村 Kocs で作られた馬車、が語源ですから、ハンガリー語起源であって当たり前のことなのですが、ドイツ語ではハンガリー語のことをウンガリシュ ungarisch っていうんだなぁと、別なところで妙に関心。
それではせっかくなので、coachの語源を以下にまとめてみます。
コーチ coach の語源
英語の coach の語源をたどっていくと、ハンガリーのとある村にたどりつきます。
その村とはコチ Kocs という村なのですが、そこで作られていた馬車の乗り心地が大変によろしかったとのこと。その「コチの馬車」、ハンガリー語で kocsi szekér (コチ・セケール)という名称が馬車とともにヨーロッパに広まっていったということです。
それが、英語ではコーチ coach、ドイツ語でクチェ Kutsche、フランス語でコシュ coche という馬車を意味する単語となりました。
地方名のカシミールが毛織物のカシミヤに転訛したのと同じようなものですな。
ちなみにドイツ語では女性名詞、フランス語では男性名詞になっているのも面白いですね。
ドイツ語 Kutsche とフランス語 coche は、今も、日本でいうところの「コーチ」の意味はなく、「馬車」という意味だけです。
「指導者」という意味は、19世紀の英語で使われるようになるわけですが、そのあたりのお話はコーチングとは?の歴史のところで述べたとおりです。
記事を書くにあたり、以下のページを参考にさせていただきました。
大変、詳しい情報を得ることができました。ありがとうございます。
A Nyuszi naplo'ja (うさぎ日記) ハンガリーの馬車
投稿日:2008-04-03 Thu
パーソナルコーチングの創始者、トマス・レナード氏は、その著書『いつも「いいこと」が起きる人の習慣』において、過去ではなく、未来でもなく、「現在に意識を集中せよ」と説いています。 「未来」に意識を集中したらどうか?
過去のことをくよくよ悩むのがよくないのは誰しも経験から思い当たることがあるかと思いますが、じゃあ「未来に意識を集中したらもっといいのでは?」と思うかもしれません。
ところがそうではないのです。人は未来にも過去にも生きることはできません。意識があるのは現在だけ。それ以外の時間を生きるということはどうがんばってもできないのです。
これは自明のことなのですが、いざ自分自身のこととして考えると、「過去のいやな思いにとらわれて」いたり、「未来の心配事で頭がいっぱい」だったりするものです。
未来というのは不確定ですから、突き詰めていくと、最終的には「どうなるかわからない不安」が残ります。
ゆえに現在に意識を集中していく。
これを実践し、継続することで、その効果のほどがいかに素晴らしいものであるか、実感できることと思います。
活力を奪われないためにも
このことに気がつき、日々、生きている瞬間瞬間に意識を集中していくと、あらフシギ、様々な不安から解放されていることに気がつきます。
もちろん、未来のこと、過去のことを考えるなという話ではありません。現在を生きるにあたって、過去も未来もなしに生きることはそれもまたありえないことです。問題は、過去と未来に存在しているように感じている不安や恐怖、過剰な期待によって、現在を生きる活力を奪われないようにするということです。
楽器を演奏する人ならこういう経験があるかもしれません。
練習中の曲を弾いていて、苦手なフレーズを部分練習します。
ある程度できたと思い、「じゃあ通しでやってみよう」としたとします。そのときに、意識がその苦手なところだけに向いていると、苦手な部分とは関係なくできていたはずのところですら変なミスをすることがありますよね。
熟練したプレイヤーはまた違った次元であるかもしれませんが、初歩のころを思い出してみてください。きっとそんな経験があるはずです。
たまたま音楽の例でしたが、他の分野でもまた似たようなことがあると思います。
人の生き方も同じで、変に未来を意識すると、現在にしわ寄せがやってくるように思います。
結局のところ、
既に過ぎ去ったことについては「後悔先に立たず」、
未来への過剰な不安、心配、期待は「杞憂」、「捕らぬ狸の皮算用」
と昔の人が散々苦労して経験を積み上げ、残した言葉に集約されているのです。
哲学・思想の領域では?
「現在に意識を集中する」ことの重要性は、ここまでで充分ご理解いただけたかと思いますが、クリエイターさんに向けてということもあり、もう少し抽象的なレベルでつっこんでみることにします。
では、日常的なレベルで「現在」といっていること、この定義を考えてみます。
「時間(現在、過去、未来)とはいったい何なのか?」
という問いですね。「時間」という概念についての疑問です。
正直、私ごときが論ずることではないのでしょうが、なんだか現代日本、こういうテーマに挑戦する人が少ないので、私の中での現時点の整理だけでもしてみることにします。
とりあえず、音楽という側面から考えたことを、ちょっとまだまとまりがないですが、書いてみることにします。
まず、音楽という芸術は、時間を扱う芸術であるということ。
ご存知の方も多いと思いますが、もっとも極端な例ではジョン・ケージの「4分33秒」という曲。そのタイトルの時間の間、まったく演奏を行いません。楽音としての音は一切ない曲というわけですね。
変な話、音がない曲はあるけれど、時間のない曲はないことになるわけです。もっとも「楽音がない」という意味ではありますが。
いやいや、同じくジョン・ケージの「0分00秒」があるではないか。となりますが、
この題名は演奏時間を表しているということではなくて、これまた楽音はないけども、いわゆるノイズはあるという曲のようです。
それでは演奏時間「0分00秒」の曲を作ったとして、それを表現できるのか?という問題。
それは本当にゼロだとすると、必然的に「時間」ということに考えがいたります。
この問題について、私自身考え始めて日が浅いので、紹介するにとどめますが、日本ではこのこと(つまり「過去、現在、未来って何か?」ということ)を大森荘蔵さんという哲学者が非常に注意深く考えておられたようです。
音楽と関係するところでは、坂本龍一さんとの対談があり、それをまとめた『音を視る、時を聴く哲学講義
そこでは「現在只今」という語を用いて、この我々の生きている時間を説明しようと試みていました。 前掲の対談では、我々が実体験として感じている「今現在」を非常に慎重にどう捉えたらよいか、どう表現したらよいかということについて考えていることがうかがえました。
また、仏教でもいい表現がないか探したが、「刹那」でも、道元禅師の『正法眼蔵』にある「有時」の時間論でもぴったりとあてはまらない、ということが語られていました。
西洋ではマルティン・ハイデッガーの『存在と時間』(Sein und Zeit)がありますが、辻村公一さんの翻訳では『有と時』としてあるのが、象徴的ですね。
だんだんボロが出そうになってきたので、ここらで一旦終わりますが、たまにはこういうことを考えてみるのも面白いことかなと思います。
投稿日:2008-04-03 Thu
このブログでも桜の写真をだいぶ載せまして、桜、桜でそろそろ飽きてきたころかなと思い、ちょっと違う花の写真を。
早朝によく近所の河原を散歩するのですが、その途中に杏(あんず)の木があります。今日あたりはまだつぼみが多いですが、いくらか咲き始めたようです。
写真はもう何年も前に撮影したものですが、ご覧になってもわかるとおり、桜や梅とはまた一味違った淡いピンクのきれいな花を咲かせます。
存在感があり、それでいて透明感を感じるようなところが好きです。
桜みたいにどこにでも植えてあるものではないので、そんな知る人ぞ知るというところも、ついうれしくなってしまいます。
今年も花と天気の具合をみて、撮影できればと思っているところです。
投稿日:2008-04-02 Wed
本屋さんでビジネス関係の雑誌をチェックしていたら、思いがけず音楽関係の記事があり、ついうれしくなってご紹介。載っていた雑誌は「BIZ STYLE」のNo.1。
ヴァイオリニストの奥村愛さんのインタビュー記事でした。
奥村愛さんの写真の話
見開き2ページなのですが、左側1ページは奥村さんの写真。記事の内容は後に回すとして(笑)、この写真はうまいですね。
ヴァイオリニストはこう撮るべしっていう見本のような写真。色味も素晴らしくヴァイオリンの雰囲気に合っています。被写界深度も絶妙といったところでしょうか。
CDジャケットとかヤマハの雑誌「音遊人」のインタビュー記事の写真も見ましたが、BIZ STYLEのほうがよく撮れているというか、すごく自然な写真ですね。
音遊人の写真もきれいではあるのですが、わざとレッドを強く出しているにもかかわらず、ヴァイオリンのほうが悪い意味でナチュラルに写りすぎて趣がない感じなのが残念ですね。
余談ですが、BIZ STYLEという雑誌自体、ビジネス誌にしてはデザインに気を使っていて好感が持てます。
なごみ系ヴァイオリニストたるゆえん
肝心の記事の内容ですが、クラシックというと何か特別なジャンルになってしまっている日本の現状から、その敷居の高さをどうにかしたいという思いが伝わってくるインタビューでした。
同年代のアーティストがこういう形で、新しい道を切り開いていっているのが頼もしくもあり、負けてられないぞっていう気持ちもあり、いい刺激になります。
そして奥村さんの公式ホームページがgeocities.jpにあるのも、なんだか不思議だけど、なんか等身大なんだなぁと思い、「クラシックを気軽に」ということとも似ていて面白いですね。
さすが「なごみ系ヴァイオリニスト」です。
サイトを作るからってドメインとることは必須じゃないよっていう。ずっとこのまま続けて欲しいですね。
今回のBIZ STYLEにはもうひとつ気になる記事が載っていました。
「「富士フイルム」に学ぶ 潜在力の発揮法」と題し、あの写真業界がデジタル化の波をまともに受けた激動の時期に富士フイルムがヘルスケア事業へ参入していったときに活躍した人々の生の声を記事にしたものでした。
私も同時期に写真業界の末端にいた者として胸が熱くなるようなそんな記事でした。
<関連リンク>
ビズスタイル
奥村愛 公式ホームページ
奥村 愛のブログ
奥村 愛:avex-CLASSICS
テーマ:雑誌(既刊〜新創刊) - ジャンル:本・雑誌
投稿日:2008-04-01 Tue
3月26日に鎌倉の大仏を見てきたところまでで今回の関東方面の旅はだいたい終わりなのですが、細々とした残りの部分をいくらかまとめてみようと思います。今回の2泊3日の旅は、2泊ともそれぞれ別の友人宅に泊めてもらい、大変お世話になりました。
まずは、1日目の夕食は予定外に新横浜!でとりました。
つばめグリル キュービックプラザ新横浜店のブイヤベースと田舎風サラダを食べたのですが、海鮮モノは大好きなのでとてもおいしくいただけました。ブイヤベースは最後におじやにしてもらえるのですが、それもおいしかったです。
2日目の25日は、akasaka SacasのAnassaでランチをした後、JASRACシンポジウムの受付をするまで会場の有楽町朝日ホール周辺でお買い物。モザイク銀座阪急のquatre saisonsで白のコーヒーカップを買いました。時間がなかったのでゆっくり見ることができなかったのですが、シンプルでおしゃれな雑貨がいっぱいでした。
こういうところとはあまり縁がないので知らなかったのですが、quatre saisonsは仙台の141にもあるんですね。今度行ってみようと思います。
そして3日のお昼は鎌倉駅にある鎌倉こまち市場 風凛で、「地魚刺身3種盛りと2種の焼き魚膳」をいただきました。これもまたお魚好き&和食好きにはぴったりですね。
その後、銭洗弁財天、鎌倉の大仏と行って、東京駅に戻りました。
で、なんか面白いとこないかなぁと持っていた『まっぷる街ナビ』を見ていて、ふと思い立ち、日本橋にある和紙のお店「榛原(はいばら)」へ。普段は接することのない世界だったので、色々な和紙グッズを見て新たな刺激を受けることができました。和紙のポチ袋と、完全に興味本位で懐紙を買いました。
その後、以前このブログでも書いた「香道」への興味から、八重洲地下街の銀座 香十へ寄って、新幹線で仙台に戻りました。
2日目、3日目は天気もよかったし、普段の生活とはまったく違う場所に行き、様々なものを見て、感じることができた旅でした。
また、お寺や神社へ行ったことで、歴史の重みや日本文化の精神的な奥深さを実感したように思います。普段関わっているネットの分野とは対極にあるような世界ですが、二者択一や対立ではなく、より洗練された文化として磨き上げていくことが求められているような、そんな気がしました。
それこそ、Cool JapanでありCulture Firstなのだと、そう思います。
投稿日:2008-04-01 Tue
歌声に関する面白い記事を見つけたのでご紹介します。日経サイエンス 2008年 05月号
人の発声に関する専門家で、アイオワ大学財団特別名誉教授のI. R. ティッツェさんが書いたものなのですが、内容の話をする前に、まずそのプロフィールがユニーク。
アイオワ大学言語病理学科所属でありながら、「声楽を教えるかたわら、オペラ、ミュージカル、ポピュラーなど広範なジャンルの歌曲を歌う。」とのことで、つまりは実践もする教授なわけですね。
この種の研究は、医学だけとか、音響学だけとか、声楽だけとか、個々の分野の視点で研究するだけでは不十分で、それらを科学的に総合して「ほんとのところはどうなんだ?」ってやっていくのが面白いところですよね。
余談ですが、こういうちょっと垣根を越えていくようなことが私は好きだったりします。
この記事も日経サイエンスに載っているくらいですから、非常に科学的なもので、「声帯」と「気道」の「非線形」の相互作用により、世の中のあらゆる楽器よりも豊かな表現力を持った歌声が生まれるということについて詳細にまとめられています。
<関連リンク>
歌声の科学(日経サイエンス)
日経サイエンス 2008年 05月号
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