投稿日:2008-05-07 Wed
さらに続ける。今、あなたは具体的に解決策があって、その方法も知っているけれども、棚上げしていることはありますか?
もし、そうなら、なぜ、それを棚上げしているのでしょうか?
最後まで棚上げするつもりなら、いっそそのことは頭から忘れたほうがいいし、いつかやるつもりならできるだけ早く片付けると気が楽になるというものです。
また、その知っている解決策は根本的解決策でしょうか?
もし一時しのぎの解決策であるならば、その問題は二度とやってこない問題でしょうか?
それともまた同じような問題がやってくるでしょうか?
一時しのぎを繰り返すこと、それは「賽の河原」と何が違うのでしょうか?
そして人生とは「賽の河原」なのでしょうか?
歴史を振り返ってみたとき、人類はここまでの進歩を積み重ねてきました。
我々は決して「賽の河原」ではない積み重ねを持っています。
問題を解決するならば、根本的解決をまず考えてみます。
それができないなら、なぜできないのか、時間がたったらできるのかできないのか。
それを考えてみます。
時間がたったらできるのであれば、棚上げすればよいでしょう。
ただし、我々は有限の人生を生きています。
死ぬまで棚上げするのであれば、もう少し違う考え方をしたほうがよいでしょう。
そしてそれが後から来る若い人へバトンタッチできるものであれば、「バトンタッチすること」を考えます。
考え抜いた末に、なお、問題が残っている場合。
それはバトンタッチすることすら不要な問題です。
そんなものは忘れてしまったほうがいいというものです。
言い換えるならば、
「今、あなたが解決しようとしている問題は、子孫にとってどんな影響があるか?」
これを考えることになります。
できることならプラスの影響をより多く残したい。
私はそう思います。
あらゆる問題を棚上げ、忘れてしまったのでは何も残りません。
人生とはそこまで無意味なものではありません。
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